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2010 年09 月12 日

日弁連第24回司法シンポジウム

 

 11日は、東京・弁護士会館まで司法シンポジウムに参加した。司法シンポジウムに出席するのは、もう10数年ぶりだろう。久しぶりに司法シンポジウムに参加すると、古巣に帰ってきたような懐かしい安心感に包まれる。多くの先生方に久しぶりの挨拶を交わした。京都にいるよりも挨拶を交わす弁護士が多いのは相変わらず困ったもんだ。

 行政訴訟分科会に参加した。テーマは、行政訴訟における裁量統制をどう図るか、団体訴訟の導入、公金検査請求訴訟の導入の3つだ。

 日弁連の提案する裁量統制の手法は、行政事件訴訟法30条を改正して裁量逸脱濫用の判断基準を列挙すること、行政の意思決定過程文書の作成を義務化すること、そして個別行政法規の国民的視点からの継続的見直しのための行政法改革会議(日本版ACUS)の設置というものだ。
 公文書管理法は「当該行政機関における経緯を含めた意思決定に至る過程を合理的に検証できるような文書の作成を義務化するものだが、法令の制定改廃、閣議決定、個人の権利義務の得喪に係るものに限定されている。それを行政上の意思決定過程全部に広げるのだ。裁判所が近時強めている裁量の判断過程を統制するためにも、判断過程が記録化されていなければ裁量統制はできない。処分過程の可視化が不可欠だ。
 しかし、現実には、行政処分の起案文書を見ても、処分通知書を別添としたうえで「別添のとおり処分してよろしいか」としか記載されていないから、判断過程は全く分からない。訴訟になってから、準備書面において判断過程が跡づけ的に主張されるだけだ。しかし、原告の主張や裁判所の求釈明に対する処分庁の主張は、現時点でこう考えるというものにすぎない。しかし、それは行政訴訟のあり方としておかしい。

 シンポジウム当日の目玉、滝井元最高裁判事と中川神戸大教授の対談が興味深かった。従来、裁量に対する司法審査は、処分庁の判断が一応もっともらしいかどうかで判断していた。しかし、それでは適法となるのは当たり前。むしろ、裁量統制とは、実定法の解釈基準がないのを前提として、処分庁に処分の理由を説明させ、それが合理的かどうかを審査すること。その際、重要なのは、具体的事実を前提として、その事実を考慮しないのは何故かを審査することだ。何を考慮事項として取り上げそれをどう評価するか。それが考慮事項審査だ。ということだったと思う。

 早速実践してみよう。

sora3

投稿者:ゆかわat 08 :42| ビジネス | コメント(0 )

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